生きててくれて嬉しい
先日、学年内の友達に浪人時代に私が死にたいと感じたことがあるという話をしました。その時に「生きててくれて嬉しい」という返信が返ってきました。それで思ったことを書きます。
「生きててくれて嬉しい」というのは目の前の命に対するありがたみを感じているから出てくる言葉だと思います。その言葉は苦手なスケッチなどによって精神的なダメージを受けて勉強などのペースが落ちている私にとってありがたい言葉です。その言葉によって「私の目の前にいる人はありがたい存在だから、その人が生きていることそれ自体に対して私も感謝をしなければいけない。そのありがたい存在に報いるためには時間はかかっても、しっかりと知識を身に付けて患者のためになるように努力しなければならない」と感じるようになりました。
また、解剖実習を行っていた時の御遺体に対しても「解剖実習のための御遺体として使わせていただかせてありがとうございました。この経験を将来の患者を救うために役に立てます。」という気持ちだけではなくて「あなたがこの世に生まれてきてくれたことを先に感謝します。私はあなたのことを直接知っているわけではないですが、きっとあなたの存在は多くの人にとってなければならない存在であったでしょう。その人々のために生きていてくれたことに対して感謝いたします。」という気持ちも芽生えてきました。
私も将来、患者を診るときには「あなたが生きていてくれて嬉しいです」という気持ちを示したいと思います。その患者は自分が生きていることで家族などに迷惑がかかっていると考えているかもしれません。なので、亡くなる運命からは逃れることが出来なくてもせめて、自分の存在は否定することなく息を引き取れるようにはしたいと思います。
私は今後も苦しい思いをして精神的に苦しくなることは何度もあると思います。時には勉強自体を出来る状態でなくなる時もあると思います。その時は「生きててくれて嬉しい」という言葉に報いようとすることにします。とは言っても、すぐには苦しみから解放されませんし、すぐには一生懸命勉強出来る状態にならないですけど。
そして、こんなことも考えました。受験生であれ、大学生であれ、勉強してて苦しいと感じている人はたくさんいると思います。そして、勉強で苦しむ人は何十年・何百年先も居なくならないでしょう。その人が苦しんでいる時に一緒になって勉強してあげたりしてあげられる人になりたいとも思いました。そして、「その苦しみを打ち明けてくれてありがとう」と言える人にもなりたいです。