医学生(2年)桜井のブログ

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泣けなくてごめんなさい

カナヲはしのぶの仇を取った後、しのぶの姉であるカナエが死んだときに泣けなかったことを思い出だしました。しのぶとカナヲ以外の継子が皆泣いているときにカナヲだけが泣けませんでした。童磨を討った後に「泣けなくてごめんなさい」と思っていました。それについて考えたいと思います。
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 まず、カナヲは幼いころに両親から虐待を受けていて、また、親に人買いに売られていて、カナエ・しのぶに保護されたときには自分の意思で行動することが出来なくなっていて食事も自分の意思ですることが出来ませんでした。「ある日ぷつんと音がして何もつらくなくなった」との表現があります。そこから、自分の意思で行動することが出来ない状態になったのでしょう。カナヲは依存性パーソナリティであったと考えられます。依存性パーソナリティ障害の特徴・原因・症状・治療法 [メンタルヘルス] All About

その相手から理不尽 な扱いを受けても文句を言えなくなっているという症状は、カナエ・しのぶが保護した時の状態から分かります。

自分の生活を仕切ってくれる人を必要とするという症状は、カナエ・しのぶが指示しないと食事をすることが出来なかったことから分かります。

泣きたいのに泣けない4つの心理的な原因|泣けるようになる方法まで紹介! | Smartlog

また、泣けないというのは、幼少期に泣くと虐待を受けていて、何もつらくなくなっても「泣くと虐待を受ける」と無意識でも心の中に強く残っていたからだと思います。カナエ・しのぶの愛があってもそれは消えなかったのでしょう。しのぶと他の継子が責めなかったのはたとえ泣けなくてもカナヲにはカナエに対する愛があったのだと感じていたからだと思います。

私は医者になりますが、誰かが死んでも泣くことが出来ない人は絶対に居ると思います。何らかの原因で泣けないというだけで悲しみは感じているのだと思います。カナヲが幼少期に受けていたほどの酷い虐待ではなくても、泣くことに対して何らかのトラウマを抱えている可能性も十分にあると思います。

もし、しのぶや他の継子がカナヲを責めていたら、カナヲは自己嫌悪によって炭次郎に会う前に自殺をしていたか、炭次郎に会ったとしてもしのぶに対して柱稽古をしたいと言ったりすることは出来なくなっていたでしょう。カナヲがしのぶと柱稽古をしたいと言うシーンは15巻に載っています。

正直、親しい誰かが死んでも泣けないことに関しては、大正時代ではほとんどの人が責めていたことだと思います。病気の事などが今みたいに分からなかったのだから、不義だと思ってもおかしくありません。そんな中でカナヲを受け入れたしのぶ、他の継子はカナヲの生い立ちを想像できる人たちでもあったのだと感じます。