医学生(2年)桜井のブログ

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人を助けるまでの段階①

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ポスト弘前では「人を助けるまでの段階」というのをテーマに分科会を出しました。信州と山梨と弘前で分科会を出してますけど、毎回感謝されるので嬉しいです。弘前では交流会で恋愛話をしませんでした。

分科会は「震災などで援助をしようにもそれがなかなか出来ないことは多々あります。それについて考えてみたいと思ったことがこのテーマを扱ったきっかけです。」という言葉で始めました。

援助行動を起こすまでの段階として

①事態に気が付いたか

②緊急事態だと認識したか

③援助を行うことに対する個人的責任を感じたか

④援助を行うために何をすべきか理解しているか

⑤実際に行動を起こすかどうか

この五つの段階があります。これらの段階を踏んで援助行動に至ります。

①の段階ついて

初めに、事態に気づかなければいけません。

例えば、教育現場などでのいじめ、職場などでのハラスメントといった事を周りの人たちが認知しないといけません。

②の段階について

事態に気づいたとしても、それが緊急事態だと認識しなければ援助行動を取ることはありません。

これに関しては、他の人が行動しないことで自分も緊急事態と認識しないということがあります。

③の段階について

「自分が援助しなければならない」と認識したかに関しては、周囲に他の人がいると「自分が助けなくても他の誰かが助けるであろう」という心理が働き、援助行動が抑制されます。

④の段階について

これは、適切な援助の方法を理解しているかどうかです。たとえ、援助の必要があると認識していたとしても、そのための具体的な方法がわからないと行動を起こしにくくなります。

また、「海で溺れている人を発見したが、自分は泳げない」といったように、援助に必要な能力を持っていなかったり、そのためのリスクが大きい場合も援助行動の抑制となります。

⑤の段階について

これは最終的に援助に踏み切るかどうかですが、「自分の勘違いだったりしたら恥ずかしい」等といった心理が働くことで援助行動を起こしにくくなります。

と説明しました。②の段階の時には多元的無知というものを以下のように説明しました。

  • 多元的無知とは、他の人が行動しないことで、自分の不安や疑念を抑えて、多分大した事態ではないだろうと捉えることを言います。

例えば、避難勧告が出ていても、誰も避難していないと「大丈夫だろう」と考えて、自分も避難しないことがあります。

次に、傍観者効果を紹介しました。

  • 他者に対し援助すべき状況であるにもかかわらず、周囲に多くの人がいることによって、援助行動が抑制されてしまう集団心理を傍観者効果といいます。

これは誰かを援助行動を起こすための③の段階の大きな妨げになっていると考えられます。そして次に、傍観者効果が生じる原因について説明しました。

傍観者効果が生じる原因としては、「責任の分散」「聴衆抑制」「多元的無知」などが考えられています。

  • 責任の分散とは、自分がしなくても誰かが行動するだろう、他者と同じ行動をすることで責任や非難が分散されるだろうと判断してしまうことです。
  • 聴衆抑制とは、行動を起こして失敗した際の、他者のネガティブな評価に対する不安から、援助行動が抑制されるというものです。
  • 多元的無知とは、周囲の人が何もしていないのだから、援助や介入に緊急性を要しないだろうと誤って判断してしまうことです。

その次に傍観者効果についてニューヨークで起こった事件を出して説明したのですが、今回はここまでとします。

他人への優しさ④

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前回の続きをお話しします。SDGでは①と②を区別せずに話し合いました。

パーソナルスペースの話になり、私が信州わらわらの先輩にわらわらのメンバーの一人の名前を出し、その人物がパーソナルスペースの基準である半径1.2メートル以内に入ったらどう思うのかを聞きました。すると、その人物に関しては一緒にご飯行ったりする仲なのでパーソナルスペースに入っても違和感がないと言われました。しかし、その先輩があまり知らない同学年の人物がパーソナルスペースに入ってきた場合は違和感があると言われました。

そして、パーソナルスペースに入っても大丈夫な仲になるためにどうするべきかも話し合いました。その中で、私の発表の中にあったミラーリングに触れた時に、ミラーリングによって仲を深めていって、その過程でより深くその人に入り込むことが出来るようになるんじゃないかという意見も出ました。あとはそれぞれの友人がどうとかという話をしました。

その後の交流会でも、一日目と同様に恋愛話で盛り上がりました。

 

他人への優しさ③

2日目は人にやさしくする方法についてお話しました。f:id:lyricalsakurai:20220312224901j:image

他人に優しくするために「共感力」を持つべきという話から始めました。このサイトを参考にしています。

「他人への優しさ」が最終的にあなたにもたらしてくれる絶大なメリットについて。 - STUDY HACKER|これからの学びを考える、勉強法のハッキングメディア

もしあなたが「共感力が不足している」と思うなら、“気持ちに寄り添う”というスタンスではなく、相手の気持ちに踏み込んで変にアドバイスし過ぎているのかもしれません。

「自分から何かしてあげよう」という過度な気持ちは必要ありません。八嶋氏によれば、相手側の話を頭から否定せず、じっくりと聞くことが、共感力を高める方法とのこと。とはいえ、ずっと聞きっぱなしというわけでもないのだそう。目安としては、「相手:自分=7:3」くらいの配分で話をするのがベストだそうです。

次に、会話を進める際に心がけるポイントを三つ紹介しました。

一つ目は自分が話の主役にならないよう、主語を入れ替えて観察することです。

例:相手「この案件、最後までやり遂げる自信がないなあ」→ 自分(相手はどうして自信がないのだろう? 相手がそれを自分に言ってきた理由はなんだろう?)

二つ目は話の中心が相手になるよう、「繰り返し」を使うことです。

例:相手「最近残業が続いていて、家帰ってもよく眠れないんだよね」→ 自分「そうなんだ。残業続きで眠れないんだね」

三つ目は自分の意見を言うときは、あくまで寄り添うように「ひょっとしたら」をつけ加えることです。

例:相手「なにか打開策を考えないとな……」→ 自分「ひょっとしたら、ひとりで抱えこみすぎなんじゃないかな。簡単な雑務なら私も手伝えるよ」

相手の話を主軸に聞いてみると、相手が何に困っているのかが、よりわかりますよね。相手の気持ちを把握できれば、どうアドバイスをしたらいいか、どう励ましたらいいのか、自分なりのアクションも考えることもできるはずです。

優しくするのは、特別な何かをプレゼントすることだけではありません。相手の気持ちを考え、少しだけ自分が寄り添ってあげる――そうした心がけで、相手だけではなく、自分にもいいことがもたらされるでしょう。

ということを引用して話しました。

とは言っても、寄り添うと言っても距離を考えないといけないと私は考えました。ということで、親密性の平衡モデルについてお話ししました。

他人が近づくと不快に感じる距離というものも存在します。

人にはパーソナルスペースという自分の縄張りのようなものがあり、その空間に他人が入ってくると落ち着かなくなったりすることがあります。

人によって異なるが、一般的には自分を中心とした半径1.2メートルがパーソナルスペースと考えられます。

そのパーソナルスペースに入っても大丈夫なのかも考えなければなりません。

その次に、ミラーリングについてお話ししました。

ミラーリングとは、相手のしぐさや言葉などを真似することで、好感度や親近感をアップさせる心理効果があります。

例えば、相手が笑顔で話している時は笑顔で聞き、相手が真剣な表情で話している時は真剣に聞くといったことです。

相手のタイミングにぴったりと合わせるのは不自然なので、少し遅れて真似するという気づかいは必要です。

こうすることで相手から自分に好感度や親近感が生まれるので、それに対して行為の返報性によって、自分も相手に優しくできると私は考えます。

 

これで私の発表は終わりで、以下のSDGポイントを設定しました。

①相手との適切な距離はどう判断するべきか

②自分ならどの程度の中までならどこまで踏み込まれても許せるか

長くなったのでSDGで話し合ったことは次回、書きます。

他人への優しさ②

前回の続きをお話しします。
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SDGにおいて、情けは人の為ならずをどんな時に感じたことがあるのかについて話した際に、「課題手伝ってもらったから、何か返さないといけないと感じてお礼としてラーメンをおごった」「バレンタインチョコを貰ったからホワイトデーに返さないといけないと感じた」等といった経験談などが出て来ました。

他には「見返りを期待して宿題をやってあげたことがある」という声もありました。その直後に「見返りを求めている時点で偽善なのかもしれない」と付け加えられました。

そして、話し合っているうちに「無意識のうちに何らかの形で見返りを求めているので、他人に対する優しさは偽善なのかもしれない」ということになりました。

私は精神科・心療内科を志望しますが、私が患者の症状を改善したいと思っているのは無意識のうちに巡り巡って私に何か見返りが貰えるかもしれないと考えているからなのかもしれません。

1日目の梨っこの交流会では山梨に関してのクイズを行いました。その後のフリートークでは梨っこの先輩と恋愛話などをしてかなり盛り上がりました。

他人への優しさ①

ポスト山梨で他人への優しさについて分科を出しました。f:id:lyricalsakurai:20220306130300j:image

ポスト山梨では一日目と二日目に分科会を出し、二日目の内容は一日目の続きとなります。

一日目は「1日目は有名なことわざと他人に優しくすることで生じるメリットについてお話ししたいと思います。」という言葉から始めました。扱ったきっかけは

ライアーゲームの葛城リョウの「他人への優しさは全て自分のため、全て偽善なんです」というセリフを聞いて、面白いと思ったことです。

「情けは人の為ならず」を「人に親切にすれば、その相手のためになるだけでなく、やがてはよい報いとなって自分にもどってくる、ということ」という意味だと確認して、「情けは人の為ならず」の実証について紹介しました。

「他人への優しさ」が最終的にあなたにもたらしてくれる絶大なメリットについて。 - STUDY HACKER|これからの学びを考える、勉強法のハッキングメディア

実験に関してはこれを引用しました。

大阪大学大学院人間研究科の研究グループが5~6歳の子どもを被験者に、ほかの子どもに利他行為(手伝ったり、おもちゃを貸したり、など)を行なった子ども(親切児)を見ていた別の子ども(親切行動観察児)が、その後どんな振る舞いをするか調べました。その結果、親切行動観察児が親切児に対して親切に振る舞うことが判明。要は、他人に親切にすると、その様子を見ていたほかの人から親切にされやすい――親切が自分に返ってくる」ことが明らかになったのです。

他人への親切行為が自分への評価とつながり、第三者から恩恵を受ける――そのような社会の仕組みを「社会間接互恵性」を呼びます。上記の研究は、幼児期からすでに「社会間接互恵性」が働いていることを示したのでした。

次に、優しいと「ストレス耐性」も高まる

ということを紹介しました。これも前述のサイトを引用しました。

日本における “愛情ホルモン” オキシトシン研究の第一人者で、統合医療クリニック徳の院長を務める高橋徳氏は、「誰かに優しくすることは、ストレス耐性を高めてくれる効果がある」と説明します。

高橋氏は、マウスを使った実験により、「優しさ」がオキシトシンを積極的に分泌させる効果があることを発見しました。

高橋氏は、同じ部屋に入れたマウス2匹のうち1匹を、1日2時間部屋から出してストレスを与えたのち戻す、という実験を行ないました。すると、部屋から出されたマウスが戻ってきたとき、もう1匹の残されたマウスが、そのマウスの世話を始めたのです。このときのオキシトシンを測定したところ、世話を受けたマウスはもちろん、世話をしたほうのマウスにおいても分泌が確認されました。

高橋氏はこのことから、人間も同じく、他人に優しくすることでオキシトシンが分泌されやすくなり、ストレスに強くなると述べます。さらに、感謝や思いやりの気持ちを頭に浮かべるだけでも、その効果が期待できるとのこと。

オキシトシンによる効果については以下のように説明しました。

幸せな気分になる

学習意欲や集中力が向上する

ポジティブになりやすくなる

そして最後に、「返報性の心理」について説明しました。

人は他人から何らかの施しを受けた場合に、お返しをしなければならないという感情を抱くが、こうした心理を言います。

そして、私の発表が終わった後に「情けは人のためならず」というのをどんな時に感じたことがあるのか

について話し合ってもらいました。

今回の投稿ではここまでにさせていただきます。

秋山に無くて葛城にあるもの

今回は秋山に無くて葛城リョウにあるものについて考えたいと思います。
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作中では秋山に無くて葛城にあるものが何かをはっきりと明かされませんでしたが、私はそれを「学問的裏付け無しに相手の心を感じ取ってそれに基づいて行動出来る心」だと感じました。

最終回での回想での秋山と葛城の大学時代に行ったプロファイリングにおいて、当時の心理学教授が誰のプロファイリングが正しいのかを発表することになっており、秋山ではなく葛城のプロファイリングが正しいとされました。

プロファイリングとは、ある人物の行動や性質など、人物像を分析・推測することを意味します。

秋山は教授から渡された手紙の内容を基に差出人の人物像を推測したのに対し、葛城はその手紙には自己紹介がないことと手紙にある滲みに注目し、教授の妻に「当時引きこもりがちだった教授の娘が少年が書いた手紙を拾い、それによって勇気と力を与えられ、返事を書いたが、返ってきた手紙の差出人はその少年の母親であり、少年は既に亡くなっていて、事実を知った娘が涙を流してその手紙に涙がついて手紙が滲んだ」という事を聞きました。

「葛城のやったことはプロファイリングではない」と秋山は主張しました。確かに、葛城のやったことはプロファイリングではないと私も思います。しかし、当時の秋山は学問的なものを重視するあまり、人の気持ちを考えるということを忘れてしまっていることを教授は感じていたのだと思います。よって、学問とは関係なく人の気持ちを考えることを思い出して欲しいと感じて敢えて秋山ではなく葛城の勝ちだと判断したのだと思います。

教授の妻に事実を聞いて人物像を判断するというのは、データに基づいて判断するというのに反していますが、葛城はその行動が原因で秋山との勝負に負けるとしても手紙の差出人の気持ちに気づいてあげたいと思ってその行動を取りました。葛城なら自分の行動を伏せておくということも出来たはずです。それに、常に秋山に勝てずに2番目に甘んじていたこともずっと悔しく思っていたはずです。それでもプロファイリングというものに反したことを行ったことを告白したのは秋山に勝つことよりも差出人の本当の気持ちに気づくことを優先したからです。そのためにはプロファイリングかプロファイリングではないのかは問題ではありません。

以上のことから、秋山に無くて葛城にあるものを「学問的裏付け無しに相手の心を感じ取ってそれに基づいて行動出来る心」だと判断しました。

 

椅子取りゲームから考えたこと

私がライアーゲームの中で一番好きなゲームは椅子取りゲームです。今回は漫画の椅子取りゲームではなくて、映画の椅子取りゲームについてお話しします。
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このゲームは優勝者の名前が入ったメダルを1枚1億円で換金することになっています。つまり、優勝者じゃなくても賞金を手に入れることが出来るゲームです。このゲームにおいて重要なのはグループを作って親決め投票で勝つことなので、一人が何個も椅子を見つけてその一人が優勝者になる可能性は低いです。

改めて見直して私がこの作品において注目したのは、桐生国と張本国がガヤを取り込もうとしてメダルを配っていたことです。

この投稿では椅子取りゲーム自体の解説ではなくて、そこから気づいた医学科入試の地域枠の本質についてお話しします。

ガヤをどう使うかが重要だと気付いていた桐生と張本はガヤにメダルを渡して自分の国のプレイヤーに投票してもらおうとしました。これは医学科入試においては「一般枠よりも受かりやすくする代わりにこちらが指定するところで何年医師をやって欲しい」「返還不要の奨学金をあげる代わりにこちらが指定するところで何年医師をやって欲しい」という交渉をして未来の医者の盗り合いです。これらの条件はこの椅子取りゲームにおける1億円の価値を持つメダルだと思います。

おそらく、地域枠を設けている医学科の意図はこのメダルに対して不満がなく、医学科の方針に従ってくれる人に面接点を多くあげることです。そうやって、自分の国に対する忠誠度が高い未来の医者の盗り合いをしているのだと私は感じます。そのような医師が多く育って自分の国に忠誠心を持って残ってくれれば自国の医療が潤い、自国の患者のためになるのだと考えているように思います。それほど、自国の患者の事を想っているのだと私は感じます。