医学生(2年)桜井のブログ

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二種類の死

新型コロナウイルス問題で、死者が何人増えたといったニュースをほぼ毎日見ます。その人たちのために何も出来ないことに対して罪悪感などを感じる日々です。苦しみながら亡くなっていることを考えると、胸が痛いです。

最近思い始めたのは、死には「ヒト」としての死と「人」としての死の二種類あるのではないか?ということです。

まず、「ヒト」としての死は、皆様が思うように、生物体としての死です。これに関しては何も説明は要らないと思います。

問題なのは「人」としての死です。これは「ヒト」としての死とは違い、判断が難しいです。私が思う「人」としての死は、「身体は正常だとしてもしっかりとした思想・文化を持って活動している状態から、ただ身体の状態にのみを気にかけ、文化活動が出来なくなった状態になること」だと考えます。

私は、何人の感染者が出たか、何人の死者が出たかだけでなく、人々がどれだけ文化的な活動が出来なくなっているのかも見てほしいと思います。

現在、三密を避けろと言われています。先ほど教科書販売で大学に行きましたが、少し、新しい友達と話していただけで「そこ、距離を取ってください」と言われました。そんな生活は息苦しくないですか?この状態だと、仮に今後において感染者も死亡者も増えなくても、文化を持った「人」として生きていると言えるのでしょうか?私は言えないと思います。

人の歴史は人同士が手を取り合ってきた歴史のはずです。それが今、人と人との関りが減ってきています。「みんなで乗り越えよう」というのは言葉だけのような気がします。実際は誰が感染してるか誰が感染してないかで疑心暗鬼になっているだけの気もします。人と接触することを極度に怖がってる気もします。

感染拡大を防ぐことはもちろん、大事なことだと思いますが、「人」としても死んではいけないと思います。この状態が続くと「人」としての死が早まってしまい、終息宣言が出されたとしても、今まで通りの生活に戻るのかが疑問です。

「人」としての死の前に終息宣言がなされることを切に願います。